「論点」の使いすぎじゃないかという「論点」

今年のアクチュアリー試験も終了しました。受験された皆さん、お疲れ様でした。

さて、こんな記事を見かけたんですよ。

アクチュアリー試験講評(2018年度 生保数理 編) | アクペディア

問題が公開されたのが13日(木)で、この記事が公開されたのが14日(金)ですので、ずいぶん早いですね。。

で、読んでいくと、問題1(6)のところで、

 解法:『生存者総数に占める就業不能者数の割合』という表現が問題文に登場すれば、教科書(下巻)160ページ(13.1.27)の公式を用いるという頻出論点が抑えられている受験生にとっては格好の問題です。

 ?

言わんとするところはもちろん分かるのですが、何か違和感がある文章の感じがします。タイトルからお察しつくかと思いますが、「〜の公式を用いるという頻出論点」という箇所です。「公式を用いる」ことって「論点」なんでしたっけ?

辞書で「論点」を調べてみましょう。

ろん‐てん【論点】 議論の中心となる問題点。「論点から外れる」

論点(ロンテン)とは - コトバンク

 この意味からすると、「論点」という言葉を使うのであれば、何か議論をしている、という暗黙の前提がなければなりません。

アクチュアリー試験でいえば、例えば2次試験の所見問題での論述のポイントを「論点」というのは正しいでしょう。まさに「論点」なのですから。ところが、これは議論の中心、というよりは、計算問題の解法のツールであって、そこに何も議論なぞ出てこないのです。問題点というより、解決させてしまっているわけですから。

強いて直すとしたら、「〜の公式を用いるという頻出事項」くらいが入試参考書でよく見る文章になるんじゃないですかね。

この記事にはさらに続きがあり、問題3(2)に、

解法:昨年の保証期間付収入保障保険に続き、累減(逓減)定期保険における負値責任準備金という論点にスポットを当てた、まさに、実務上、密接な関わりの強い問題です。 

 とあります。

逓減定期では負値Vになることがある、というのが問題のポイントということを主張されているので「論点」と使われているのかと思います。でもこれって、「論点」というより「特徴」であり「トピック」でしょう。

ちなみに、この記事を書かれた「活用算方」*1氏は、同じサイトに生保1の講評も書かれています。

アクチュアリー試験講評(2018年度 2次試験:生保1 編) | アクペディア

ここでは「論点」という言葉は5回出てきます。

問題1(3)のところは、そもそも問題文にそう書いてあるし、これは正しい。

問題1(6)

 ただし、従来の頻出論点であった「アセットシェア計算」ではなく「団体定期保険の優良団体割引」という、ややマイナーな論点でした。

このブログを書いていて、なんとなく気づきましたが、この方はおそらく「論点」=「問題」「ポイント」のように使っているのかなと思いました。「問題」を「議論」と考えるのは、まあわからんでもないのですが、でもそれは「議論」そのものであり、「議論の中心」ではないのですよ。前提がない以上、「論点」と書かれるのは不自然なんですよね。

ここだと、「従来の頻出問題であった(中略)、ややマイナーな題材でした。」くらいが自然だと思います。

問題3の2つは、所見問題ですし、まさに「論点」です。

 

自分も注意しないといけないのですが、語感やコロケーションというのは日々硬直化しがちだなあ、と実感します。人によって好きで使う言葉というのがあると思うのですが(上でいうと「論点」?)、そればかりに頼りすぎるのでなく、いろんな文章を目に触れて、なるべく取り入れるようにしたいところです。

*1:確証は得てないけど、たぶん知り合い