企業の不条理

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4502680206/ref=as_li_qf_sp_asin_il_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4502680206&linkCode=as2&tag=keykeioboy-22企業の不条理
作者: 菊澤研宗
出版社/メーカー: 中央経済社
発売日: 2010/10/25
メディア: 単行本
この商品を含むブログを見る

今日は珍しく経済学の本を紹介します。

この「企業の不条理」では、ミクロ的には合理的に議論を進めているんだけれども、しかしマクロ的に見ると不合理な結果に陥ってしまう、という状況(例えばモラルハザード、アドバースセレクション)を様々なケースを用いて分析しています。女性就業、銀行業界、というよくありそうなジャンルから防衛産業のようなマニアック(?)なジャンルまで、幅広いアプローチがなされています。
それでいて比較的簡潔で、三田論(※慶應の文系ゼミが三田祭で発表する学生論文のこと)を書く学生にとっては、中身としても、論文の書き方としても参考になる本だと思います。

この本のなかで、第6章に「海外原子力産業をめぐる企業の不条理」があります。
今でこそ原発に関する議論はいっそう活発になってきましたが、この本が出版されたのは3.11前の2010年10月。3.11前に原発推進派はどういう議論でそのロジックを説いているのかが垣間見えます。
まずこの論文の前提としてあるのは、「原発は大量に安定的に電気を供給できる」というものです。近未来のエネルギーの大量供給に応えるには、原発は不可欠なものになる、というところから議論がスタートします。
安全性の重視という観点からすると、規制や規模の縮小が合理的になります(現に今の原発反対派も廃止を唱えています)。しかし、筆者によると、これが「不条理」であるというのです。
規制や規模の縮小によって、電気の安定供給はされず、むしろ安全性は高まらない、と論じています。そして、経済学的な結論としてはむしろ逆で、規制を緩和して、規模を拡大することが安全性を高めて電気の安定供給を達成できる、というのです。
詳しい議論については、是非とも本を手にとって読んでいただきたいのですが、ページ数が少ないこともあってか、個人的には直感的な仮定がうーん、となるところもありました。コストと安全性の関係性はそう直感的に表せるものでもない気がしますが。。

ところで、この論文の執筆を担当された方は、成田康修氏といい、執筆当時は東京電力に在職されています。
3.11を経て、この方の持論は変わらないのでしょうか。そしてこの方のいう「不条理」が進行し、大飯原発再稼働にも強い反発を招いています。
この章の結語として、こう締めくくっています。

原子力発電所をめぐる安全性に関して、今日、多くの人々は、倫理学的観点からコストの問題ではないというかもしれない。(中略)しかし、このような意見は安全性を確保するには、非常に危険な主張である。たしかに倫理的な観点からすれば、そのような主張は貴重であり、その通りである。しかし、人間は倫理的な側面もあるが、残念ながら人間には経済的な側面もあるのだ。(中略)倫理性と経済性が必ずしも一致しないことを十分認めて、いかにして両方をより一致させるような方法を考えるかが、実は原子力発電所の安全性をめぐる現実的な問題となる。

たしかに倫理性と経済性はときに対立します。倫理性という理想と経済性という現実は、激しく衝突します。それを両立させることが確かに理想ですが、そのときに前提ありきで議論を進めていないでしょうか?上記の結論も、最初に書いた通り「原発は電気の大量供給には必要」という前提が隠れています。
電気の必要供給量、コスト、原発事故リスク、、と住民や電力会社に限らず不条理は尽きません。今度この手の本が出るときは、そもそもどのようにエネルギーを確保するか、と根本的に考えるところから分析しているものを読みたいものです(複雑で難しいところではありますが)。