今こそ読みたい「舛添要一の6ヵ国語勉強法」

2016年もあと1週間で終わろうとしています。先週まで、頭の中はずっと仕事とアクチュアリー試験のことばかりで一杯だったのが、まるでウソのようです。
さて、2016年はいろいろなことがありました。というか、2010年代の中で(今のところ)劇的に変わりすぎた年になったのではないでしょうか。
その中の1つに、東京都知事であった舛添要一氏が、政治資金問題で任期途中に辞任してしまったことが挙げられます。
今や小池都知事の辣腕(強引?)ぶりが毎日メディアに登場し、忘れ去られているように思われる舛添氏。確かに政治資金問題自体はその後の対応も含めて糾弾されても仕方ないように思いますが、その一方で、これまでの舛添氏を全否定するにはあまりにももったいないと思います*1
その一例を挙げたい、という思いで、今日は「舛添要一の6ヵ国語勉強法」を取り上げたいと思います。

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作者: 舛添要一
出版社/メーカー: 講談社
発売日: 1997/02
メディア: 単行本
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舛添氏が政治家になる前の肩書きは国際政治学者。当時はTVタックル田嶋陽子氏と「夫婦喧嘩」のような言い争いをしていた時期ですね。
この書によると、舛添氏は英語の他に、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語、イタリア語を勉強していたそうです。国際政治学を研究するため、とはいえ、私のような凡人からするとひえー、という感じがします。なのに、本書の中では、舛添氏が当時勤めていたミュンヘンの研究所ではたいていの人が20ヵ国語ぐらいできて、「『日本語を入れてもたった五つしか言葉ができないの』と軽く言われてしまう」という記述があり、つくづく上には上がいるものだ、と思いつつも、高々第二言語でひーひー言っている場合ではないのだな、と痛感してしまいました。
6ヵ国語も習得するんだから、きっと特別な方法があるのだろう、と思いがちですが、全くそんなことはない。というか、以前から言われている方法ことを堅実に・習慣的に勉強することが遠いようで近道である、というように見受けられます。詳しくは本書(特に第2章)を読んでいただきたいのですが、一部を紹介すると、

  • しっかり読書をする。読む習慣をつける
  • 記憶を定着させる上で、手で書いて覚える
  • 辞書を「読む」(単語の意味だけでなく説明や例文、その関連も読む)
  • ダラダラやらず、集中的に勉強する
  • 頭で理解すること以上に、慣れよ

ね、ベストセラーの語学学習ガイドの本にもよく書かれてあることばかりなんですよ。
その一方で、よくある語学学習法には警鐘を鳴らしています(ここは納得的で読む価値あり)。例えば、オーラル重視の勉強については、会話のためにこそ文法をきちんと学び、意味を理解する「読解」を十分にやる必要がある、と逆説的に説いていますし、「英語を学ぶなら英語で考えろ」という考えについても、最初のうちは日本語で考えながら英作文や英会話をするのは自然であり、数をこなすことで結果的に英語で考えられるようになる、と説明しています。そうだったのね。
ハウツー以外にも、舛添氏が海外に滞在していたときの話で印象的だったのが2つあります。1つは、スイスは永世中立国ですが、それは非武装中立ではなく重武装中立で、スイス人の自宅には武器が備えられている、ということ。全く逆だと思っていました…。もう1つは、パリでは夜10時以降にトイレの水を流さない決まりになっている、ということ。さすがに、当時は…、とは思いますが、強烈ですね(調べてみたところ、一部の古い建物などでは続いているそうです)。。
ちなみに、本書では、まだ髪の毛がフサフサだった頃の舛添氏を拝むもできます(笑)。
せっかくの明才な頭脳をお持ちの舛添氏なのですから、個人的にはほとぼりが冷めたあたりで「しくじり先生」とかに出て禊を済ませてから、教養人としてもうひと頑張りしていただきたいものだとは思っております。
ところで、なぜこの記事を今日書いたのかって?この本の「あとがき」が書かれたのが今日からちょうど20年前の1996年12月24日だからです!!(←単なる偶然)

*1:予め断っておくが、だからといって私は舛添氏の熱烈な支持者ではない